スペイン人とメキシコ人の影響

1769年、スペインの探検家ガスパー デ ポータラがサンジュクインの村に入り、それまでののどかな先住民達の生活に突然終止符が打たれることになりました。
スペイン人は砦をつくり、教会を建てたり牛の群れの飼育を始めます。
スペイン国王は教会を次々と建てさせ、数箇所の大きな個人所有地も出来上がりました。

1831年、スペインからの独立後、メキシコ政府は教会を排除し、土地の管理と同時に有力なメキシコ市民に対して牧場の分配を始めました。
ここでスペイン/メキシコ有権者グループが包括的な土地をそれぞれ持ち、それが後に3つの大きなアーバインの牧場、「ランチョ サンティアゴ デ サンタアナ」「ランチョ サンジュクイン」「ランチョ ロマス デ サンティアゴ」になりました。

この中で最も古くかつ唯一のスペイン人所有であったランチョ サンティアゴ デ サンタアナはヨーバ家に引き継がれ、メキシコ政府管轄となりました。

1837年、サンフアンキャピストラーノ教会の土地はドン ホセ セプルベダに引き継がれ、ランチョ サンジュクインになりました。ランチョ ロマス デ サンティアゴは1846年にテオドシオ ヨーバに引き継がれました。
また同年、メキシコ軍はメキシコ人とアメリカ人の最終戦争に敗北します。
グアダルーペ条約により、カリフォルニアはアメリカ合衆国のものとなったのです。

1851年、国会決議により土地所有者は、牧場に対する所有権を土地コミッショナーの委員会に再度申し込みしなくてはならないことが定められました。しかしながら、当時の土地所有者たちはすでにその所有地を細かく証書化して売りに出し、大部分の牧場が外部者の所有となっていました。

1868年、外部の個人投資家エーベル スターンズは所有牧場の運営に大成功していましたが、その土地を要求に伴い四分割、それぞれを四つの成功している羊牧場主であるベンジャミン フリント、トーマス フリント、ルレウェリン ビクスビー、ジェームス アーバインの四名に分けました。
丁度その頃、ランチョ サンジュクインの所有者であったホセ アンドレス セプルベダは、大きな借金を背負っていました。そして1864年の大干ばつを受け、その土地48803エーカー(1億9837万4千434平方メートル)をアーバイン、フリント、ビクスビーに$18000(約193万5千720円:当時と現在では$1の価値が異なります)で譲渡しました。

1866年、アーバイン、フリント、ビクスビーは47000エーカー(1億9104万5千600平方メートル191045600)にわたるランチョ ロマス デ サンティアゴの土地を、$7000(約75万2千780円:当時と現在では$1の価値が異なります)で獲得しました。その土地の大部分は開墾には向いていませんでしたが、北側にサンタアナ川が面していた為、豊富な水を得ることに大きな役割を果たしました。

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